戻れる場所のお話
こんにちは。リリです。
昨日、ふと思い立ちブログを開設したのですが、何人かの方が見てくださったようです。本当にありがとうございます。
なぜこんな時間に更新ができるのか、というと心の病で学校をお休みしているからなのです。こんなにも照っている空の下、鬱々とモノクロの世界を過ごしていた日々にちょっとだけ色が付いたように思えます。
心を病んでしまった時、一番多くかけられた言葉があります。それは「実家に帰ってゆっくりお休み」です。
この言葉を聞く度に私は、ああ、この人は大事に、少なくとも邪険にされずに育ったんだろうなあ、などと考えます。
だって、自分が大切にされない場所に行かせようなんてことを考える人はそうそういないのですから。
私の生い立ちはここでは伏せますが、ここで重要なことは居場所があることの大事さです。
居場所の存在は、その人自身を支える柱と言っても過言ではありません。
その柱は多ければ多いほど、人は安定して立ち続けることができます。
学校や教員の役目はそこにあるのではないか、とも思います。この人は、この場所は、どんな私でも受け入れてくれる、と思えるような、いわば「ベースキャンプ」のようなものであるべきなのです。
もちろん、生まれ育った家もそうであってほしいのです。自分がどれだけ惨めで人に誇れぬ姿になったとて、ここは自分を受け入れてくれる、という「愛情」を誰しもが求めています。特に子どもはその欲求が満たされぬ時、行動として顕著に表れてしまいます。
私も早く居場所としての機能を全うするべく、現場に戻らねばなりません。