ある先生の昼休み

ちょっとの時間でちょっとためになる(かも)先生のお話

普通と幸せのお話

こんにちは。リリです。

 

昨年、勤務していた高校でこんなことを話す生徒がいました。

「私はみんなの普通が普通じゃないから、幸せにはなれないんだよね、たぶん。」

 

皆さんは「幸せ」を考えたときに何を思い浮かべるでしょうか。

結婚、マイホーム、家族、綺麗な車、、、、、このようなものを想像される方が多いのではないでしょうか。

 

「幸せという言葉の具現化」。

この行為こそが「幸せ」という言葉に「普通」という基準を作っているのです。

そして「普通」は、誰かを一生涯かけて苦しめる呪縛のような言葉なのです。

 

普通に大学に行って、普通に就職する、それこそが「幸せ」への後押しだと信じて我々教員は教育を施します。でもその「幸せ」は「大多数の幸せ」なんですよね。

絶対にそれに当てはまらない生徒はいるわけで、彼ら彼女らにとって学校の教育は「幸せ」から遠ざかっていくものの一つであるとして、我々はどうあるべきなのか。未だに答えは出ません。

 

けれども、「幸せ」の中身が違っても、共感することはできるはずです。理解できなくとも、理解したくなくとも、自分の話に耳を傾けてくれた人の存在は、聞いてもらえたという経験は、少なくとも彼ら彼女らにとっての「小さな幸せ」ではあるはずです。

 

教員なんて、誰にも当てはまる大きな幸せを与えられる万能な生き物であありません。だからこそ、具現化されていない小さな幸せを与けえ続けたいと思うのです。

 

生徒が話したあの言葉は今、でも私の心を揺さぶり続けています。